1942年、日本軍はオランダ領東インド(現在のインドネシア)を占領。日本の占領政策によってインドネシアの人々は大量に労働力として動員され、飢餓や病気で多くの命が失われた。マリオの祖父・黒岩通は戦時中、スマトラ島北部のアチェで特別警察隊長を務め、抗日運動に関わる住民を弾圧し、恐れられる存在だった。しかし日本の敗戦後、独立を認めない連合軍が再びインドネシアへ侵攻すると、黒岩は立場を一転させる。自ら部隊を率いて独立戦争を最前線で戦い、 4年半に及ぶ戦いの末インドネシアは独立を果たした。その後アチェで結婚し、自身の名をモハメド・アリと名乗り、二人の子どもに恵まれた。しかし、独立から6年後の1955年、黒岩は突如日本へ帰国する。妻と幼い子どもを残して――。忽然と姿を消した父。理由を知ることもできなかった息子のヘンドリは永い間「棄てられた」という思いを抱えながら暮らしてきた。だが約80年の時を経て、これまで知ることのできなかった史実を知るべく、マリオが動き出す。
黒岩通とは何者だったのか。なぜこの地に残り、なぜ去ったのか。心に閉じ込めてきた家族の沈黙をほどく旅が、はじまる。
1945年8月15日、日本軍は、連合軍に降伏し、武器を引き渡す義務を負った。一方、独立を宣言したインドネシアからも武器を要求された。こうした中、およそ1000名の日本兵、軍属が、日本軍を脱走し、インドネシア独立戦争に身を投じた。ある者は戦犯を恐れ、ある者は独立の約束を果たそうとし、ある者は愛する人のために——。戦闘で半数以上が命を落とし、生き延びた300余人は、この地で生きていくことを選んだ。黒岩通もそのひとりだった。
監督の小西晴子です。『ロンガの海』は、取材から26年の歳月をかけて完成しました。私の父は、インドネシアで敗戦を迎えた日本兵でした。私が子どもの頃、理由もなく父に殴られたこともあり、距離がある親子でした。そのため、父の戦争体験を聞いたのは、父の死の4年前でした。「インドネシアの人は、日本に好意を持っていて、喜んでいる」と語った父。私は、自分の目で確かめたいと――2000年から取材を始めました。
第二次大戦以前、日本の子どもたちは、「国家に身を捧げよ」と教育されました。私の父 小西繁男もその一人でした。大正デモクラシーの時代の自由な大学生活を送っていた父は、卒業を5カ月後に控えた1942年10月、22歳で軍隊に召集されました。
父が軍隊で記していた日誌を見ると、教官が「国家の盾となること肝要なり」と訓示しています。父は、「戦陣訓の生死を超越せる悠久の大義こそ、吾等の目指すとこなれども、未だもがきつつあり」と書いています。そこには、死ぬことに煩悶する青年がいました。しかし1年半の訓練で、「日本人は、国家あるいは家のため、己を殺すという生き方をする。戦場で死んでも、忠孝という精神に安心立命を見出すことのできる日本人は、実に幸いにして有難し」と書く、兵士に変わっていきました。そして、ジャワ島に派遣され、インドネシアの「郷土防衛義勇軍」の青年たちを訓練しました。
1945年8月17日、日本敗戦の2日後、インドネシアは独立を宣言します。しかし、10月25日、イギリス軍がジャワ東部のスラバヤに上陸。スラバヤ市民は、日本軍から奪取した武器を持って立ち上がり、連合国の再占領に抵抗。こうして、イギリス、そして、オランダとの、インドネシアの独立をかけての戦争が始まります。その中に軍を脱走した日本兵もいました。2000年、私は、ジャカルタの「福祉友の会」の事務所で、乙戸昇(1918年東京出身)さん、宮原永治(1922年台南出身)さん、藤山秀雄(1922年佐賀出身)さんにお会いしました。残留理由はさまざまでした。独立後、彼らは、屑鉄の回収、爆弾での魚の収穫、にせ医者など、生きるために何でもやったそうです。2005年、藤山さんと、山の中の戦友の墓参りに行きました。インドネシアでは、約4.3万人の日本兵・軍属が戦死し、いまだ故郷に帰れず、約2.5万人戦没者が野に山に海に眠っています。2013年に亡くなった宮原さんからの手紙には、こう書かれていました。「私たちの世代は戦争に明け暮れ、どれだけの人が死亡したかを考えれば、来る21世紀は人類が平和に暮らしていけることを人一倍祈念してやまないのです」。
2015年9月、市民の強い反対を押し切って、安保法制は強行採決されました。日本は、「集団的自衛権」として海外で武力攻撃ができることになりました。2020年、アメリカの要請で、自衛隊の護衛艦「たかなみ」が中東に派遣されました。日本の戦争を知ってほしいと、インドネシアで戦った父、残留した日本兵のドキュメンタリーを作ろうと決めました。
2022年、私は再びインドネシアを訪れました。日本兵は、全員が他界していましたが、彼らの子孫は5000名を超えるまでになっていました。20~30代の若い日系三世は、祖父たちの埋もれた歴史を残そうと活動していました。驚いたのは、孫の世代が今も「侵略者の子孫」と呼ばれて傷ついている現実でした。その一人マリオ黒岩には、祖父の記憶がありません。独立後、数年して日本に帰ってしまったからです。マリオは、家族と自分自身のために、祖父の人生に向き合おうとしていました。「真実が知りたい」というマリオの旅が始まりました。
「人は許すことはできても忘れることはできない」
被害者の娘に許された加害者の孫が発した言葉だ。その含蓄の深さに唸った。だが祖父を加害者にしたのは誰だ? 国家だ。本作は、国家が個人に強いる戦争というものの非道さを浮き彫りにした。これを「異常な時代の話」と、切り捨てられるだろうか?
なぜ父は、母や幼い私たちを残して、いきなり日本に帰国してしまったのか。
老いた息子の旅は思いがけない方向に進む。
日本の加害責任が透けて見える。つくづく思う。人は悲しいほどに多面的な生きものなのだと。
個人の生命力は、時として歴史を乗り越える。
二十世紀の終わりの頃、インドネシア独立戦争に身を投じた残留日本兵たちの互助組織「福祉友の会」の人々にインタビューした。彼らについての記録が少なすぎると思った。
今、「帰国した残留日本兵」の足跡を描く映画が登場した。
国家が作り出す歴史物語はナショナリズムやイデオロギーのふるいにかけられ時と共に歪められてゆく。恐ろしく単純化され善悪の二項対立に収斂されてゆく。だが個人の歴史は そんなに単純ではない、悪人が聖人になり、強者が弱者となる。
小西監督は関係者の証言 を丹念に辿り埋もれていた個人史の再構築に成功した。
これまで映画制作を共にした小西晴子監督から何度か直接話を聞いたが、
彼女の父はインドネシアで敗戦を迎えた日本兵だった。
彼女が父と過ごした人生と、この映画に登場する黒岩家の人生は重なる。
そして、これまで多くの日本人がたどった歴史とも、どこかで重なるだろう。
戦争体験の「ファミリーストーリー」から、戦争責任を静かに問いかける映画だ。
「植民地主義」「占領」に良いものなどない――加害国のルーツと家族への思慕の狭間で揺れ動きながらも、マリオがこの言葉にたどり着くまでの真摯な旅の軌跡がここにある。
日本が占領していたインドネシア、派兵された黒岩通という男。独立後も彼はインドネシアに残り、戦い、そして家族を残して突然いなくなった。このドキュメンタリーで家族らが辿った黒岩の軌跡は「植民地主義」そして「戦争」の、未だ癒えない傷痕を生々しく私たちに伝える。戦争は人を加害者にし、同時に被害者にもする。そして、そこで負った傷は何世代にもわたり完全に癒えることはない。戦争をしてはならない。その理由がこの映画の中にもたくさん、つまっている。今、こんな世界の中で観るべき作品です。
日系インドネシア人3世。石油輸出入会社経営。小さい頃「侵略者の孫」と虐められる。祖父の黒岩通(とおる)は、は何故インドネシアに残留し、なぜ家族を残し日本に帰国したのかー黒岩通がいたアチェで当時を知る人々に話を聞くと、そこには黒岩の光と影があった。
マリオの父。黒岩通が日本に帰国した後、母が仕立ての仕事で、必死に子どもを育ててくれた。ヘンドリは、貧しい家計を助けるため子どもの頃から働き、長い間、父に棄てられたと、心に傷を負っていた。しかし、日本で父の帰国の理由を知る。
マリオの母。日本残留兵 梅田実の娘。日本の天理大学に留学し、インドネシアのメダン領事館に勤務していた。ヘンドリと結婚し二人で懸命に働きヘンドリを支えてきた。梅田実は、メダンの英雄墓地に眠っている。
ドキュメンタリーアイズ代表。2003年から、土本典昭、黒木和雄、原一男など日本のドキュメンタリストを追ったTVシリーズ「ドキュメンタリスト」を制作。2003年に起こったイラク戦争下の市民を描く映画『リトル バーズ -イラク 戦火の家族たち-』(綿井健陽 監督2005年)を企画。同作は、ロカルノ国際映画祭で人権部門最優秀賞を受賞。10年後、『イラク チグリスに浮かぶ平和』(綿井健陽 監督2014年)を製作し、FIPAより「Young jury award」を受賞。アルジャジーラドキュメンタリーチャンネルでも放送される。
2015年、東日本大震災からの再生と海と生きる住民の決意を描くドキュメンタリー『赤浜ロックンロール』(文化庁後援)を監督。7年後の後継作『未来につなぐために』は山形ドキュメンタリー映画祭2019で上映。2025年、ディレクターとして制作した「祖父への旅」(NHK BS/NHKWorld)が、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。
映画プロデューサー。日本映画大学名誉教授。原一男監督『ゆきゆきて、神軍』(1988)の助監督を経て、松井良彦、園子温、平野勝之らのインディーズ映画を数多くプロデュース。森達也監督『A』(98)、『A2』(2000)で山形国際ドキュメンタリー映画祭特別賞・市民賞を受賞。綿井健陽、古居みずえ、広河隆一、松林要樹らのドキュメンタリー作品をプロデュース。『リトル バーズ -イラク 戦火の家族たち-』(05)がロカルノ国際映画祭人権部門最優秀賞受賞。松林要樹監督『花と兵隊』(09)が「第一回田原総一朗ノンフィク ション大賞」受賞。2011年、森、綿井、松林と東日本大震災の被災地を巡り『311』を共同監督、編集・プロデュース。『311』は、プサン国際映画祭「AND」ファンドを獲得。著作に森達也らとの共著「311を撮る」の他、単著では「日本映画大学で実践しているドキュメンタリー映像制作の作法」(2019年・玄光社)がある。
マカッサル出身。ドキュメンタリー映画監督。インドネシアで2006年に映画監督としてのキャリアをスタート。短編ドキュメンタリー『Rabiah and Mimi』は、2019年のTokyo Docsのピッチングフォーラムで優勝し、NHKで放送。2021年、長編ドキュメンタリー『The Flame』が、スイスの「ヴィジョン・デュ・レエル」、韓国の「DMZ国際ドキュメンタリー映画祭」、「シンガポール国際映画祭(SGIFF)」で上映される。2025年、長編ドキュメンタリー『The Last Accord: War, Apocalypse and Peace in Aceh(最後の合意:アチェにおける戦争、黙示録、そして平和)』を公開。長編ドラマ『Jodoh 3 Bujang』(3人のソウルメイト)はNetflixで配信されている。
1981年 高知県出身。教育映像・ドキュメンタリー映画・映画予告篇などの制作に携わる。主な編集作品に、寺崎みずほ監督『佐藤忠男、映画の旅』(25)、高橋慎一監督『THE FOOLS 愚か者たちの歌』(22)、大宮浩一監督『ケアを紡いで』(22)『島にて』(19)『石川文洋を旅する』(14)、島田隆一監督『二十歳の息子』(22)など。
映画美学校ドキュメンタリー・コース修了後、フリーの録音技師・編集者として活動。
主な録音作品に小林茂監督『風の波紋』(2015年)、戸田ひかる監督『マイ・ラブ:6つの物語 日本篇 絹子と春平』(21年)、西原孝至監督『百年と希望』(22年)、石原海監督『重力の光:祈りの記録篇』(22年)、甫木元空監督『はだかのゆめ』(22年)、福間健二監督『きのう生まれたわけじゃない』(23年)、小林茂監督『魂のきせき』(26年)など。主な整音作品に小森はるか監督『息の跡』(16年)、國友勇吾監督『帆花』(21年)、島田隆一監督『二十歳の息子』(22年)、奥間勝也監督『骨を掘る男』(24年)、藤野知明監督『どうすればよかったか?』(24年)など。主な編集作品に酒井充子監督『台湾萬歳』(17年)、空音央監督『Ryuichi Sakamoto | Opus』(23年)、福永壮志監督『アイヌプリ』(24年)などがある。
グラフィックデザイナー。これまでに300本以上の映画ポスターを手がける。ドキュメンタリー映画では『人生フルーツ』(2016/監督:伏原健之)『『どうすればよかったか?』(2024/監督:藤野知明)など。国内外の様々な映画ポスターをデザインしている。近年は『WKW ウォン・カーウァイ4K』シリーズ、『急に具合が悪くなる』(2026/監督:濱口竜介)、『ナギダイアリー』(2026/監督:深田晃司)のポスターデザインを手がけている。
映像ディレクター/日本映画大学 ドキュメンタリーコース専任講師。
日本映画学校(現日本映画大学)卒業後、フリーの助監督・制作部として映画、テレビドラマ、教育映像、CM、PVなど様々なジャンルの作品に携わる。2013年文化庁若手映画作家育成プロジェクトndjcに参加。以降、テレビドキュメンタリー、教育映画、劇場予告編などの演出を手掛ける。主な監督作、『カオリと機械油』(14年)、NHK-BS『極私的ドキュメントにっぽんリアル フシギな同居』(15年)。
南幸男 長嶋利雄 鈴木正実 前田大和 小西晴子
福祉友の会
ヘル サントソ衛藤/ Mariko Surjanto /ミアガ 田中
ヨガ 上田/リマ 幸松/リナ 梅田/リキヤマ藤山
石井義雄/ 黒岩 チサオ/ 黒岩 日出夫/ 黒岩 友美子/ 坂根 孝
頭山 立國/ 濱田雄二/ 藤山家の方々/ 村上 順三
内海愛子/ 江澤 誠/倉沢 愛子/澤田 次郎/白石 さや
中島 岳志/西 芳実/林 英一/松野明久
外務省 外交史料館/長洋弘/江澤 誠
ARSIP NATIONAL RI Arfan Sabran / Muhammad TWH
BEELD& GELUID/ T.A.Talsya
太秦株式会社 小林三四郎 今村花 佐藤美侑
ドキュメンタリーアイズ
© 小西晴子/浜口文幸記念スタジオ/ドキュメンタリー新社