「人は許すことはできても忘れることはできない」
被害者の娘に許された加害者の孫が発した言葉だ。その含蓄の深さに唸った。だが祖父を加害者にしたのは誰だ? 国家だ。本作は、国家が個人に強いる戦争というものの非道さを浮き彫りにした。これを「異常な時代の話」と、切り捨てられるだろうか?
なぜ父は、母や幼い私たちを残して、いきなり日本に帰国してしまったのか。
老いた息子の旅は思いがけない方向に進む。
日本の加害責任が透けて見える。つくづく思う。人は悲しいほどに多面的な生きものなのだと。
個人の生命力は、時として歴史を乗り越える。
二十世紀の終わりの頃、インドネシア独立戦争に身を投じた残留日本兵たちの互助組織「福祉友の会」の人々にインタビューした。彼らについての記録が少なすぎると思った。
今、「帰国した残留日本兵」の足跡を描く映画が登場した。
国家が作り出す歴史物語はナショナリズムやイデオロギーのふるいにかけられ時と共に歪められてゆく。恐ろしく単純化され善悪の二項対立に収斂されてゆく。だが個人の歴史は そんなに単純ではない、悪人が聖人になり、強者が弱者となる。
小西監督は関係者の証言 を丹念に辿り埋もれていた個人史の再構築に成功した。
これまで映画制作を共にした小西晴子監督から何度か直接話を聞いたが、
彼女の父はインドネシアで敗戦を迎えた日本兵だった。
彼女が父と過ごした人生と、この映画に登場する黒岩家の人生は重なる。
そして、これまで多くの日本人がたどった歴史とも、どこかで重なるだろう。
戦争体験の「ファミリーストーリー」から、戦争責任を静かに問いかける映画だ。
「植民地主義」「占領」に良いものなどない――加害国のルーツと家族への思慕の狭間で揺れ動きながらも、マリオがこの言葉にたどり着くまでの真摯な旅の軌跡がここにある。